人生というゲームの新しい遊び方

「あまのじゃくで生きよう」~完全に自由な状態で本音を問えば自分が見えてくる~すべての人が成功する天国の方法

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新しい時代を生きるあなたへ(2) 3

これは、「トータルライフコンサルタント」長谷章宏氏の著作『人生というゲームの新しい遊び方』より抜粋したものです。

この著作は初版1刷発行が1994年3月25日であり、約14年前のものですが、まさに今の時代を予想していたかのごとく、現在の社会状況にピッタリの内容となっております。

今、まさに、歴史上かつてない激動の時代です。この激動の時代に、すべての人が成功する天国の方法として、毎週2回、著書より抜粋して掲載してまいります。

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(連載 No.34)

新しい時代を生きるあなたへ(2) 3

 お互いに自分勝手であることを認めればトラブルは消える
 人間というのは、もともと「自分勝手な存在」です。「自分が気分悪いからやめてくれ」「自分が迷惑だからやめてくれ」と言いながら、その発言自体が、「相手にとって迷惑であること」に気づいていないのです。「自分は正しい」と思い込んでそれを疑うことすらせず、自分が心地悪いものを見ると、「やめろ」と平気で言っているのです。その理由は、「みんながやっているから」「常識だから」「法律できまっているから」なのです。ほとんどの人が自分の人生を相手に預けている結果、全体としてこういうシステムができあがってしまっただけです。そういうシステムになっているからと言って、「どうにもならない」というわけではありません。
 一人一人の行動、生き方が、全体の生き方を創りだしているのです。要は、一人一人が(あなたが)どんな行動をとるか、ということです。それぞれが、自分の現実を変えるために、本当にしたいことが行動できるかどうか、という一人一人の生き方の姿勢の問題です。あなたが(自分が)見方を変えて、別の方法を行動に移せば、自由になれるのです。そして、それにつれて周りの状況も変わってくるのだということです。
 今までも考え方を変えることで、法律も制度も変えてきました。ただ、この大きなシステム自体を変えない限り、大なり小なりトラブルは創り出され続けるということです。「それは仕方ないことだ」と言っている限り、それは絶対に変わりません。「トラブル」も「ストレス」も「病気」も、本来、形としては存在しないものなのです。「ストレスがない人間はいない」のではなくて、「ストレスがないのが当たり前」なのです。大きなシステム自体を変えるには、今までとは全く反対の考え方を行動に移す必要があります。一度、「原点」に戻って、人間の本当の姿を思い出し、自らの「創造性」を無限大にすることが必要なのです。
 あなたが周りを気にしていると、自分を下に見ている(そういう風に決めている)と、あなたは何もできません。それは、今までのゲームが創り出す見方、行動のパターンです。そのゲームの中にいる限り、何も変わりません。あなたが、ほんとうに自由になるためには、現実を変えるには、「それがあるからできない」をやめて、「それがあるけどやる」と言えばよいのです。「見たら信じる」「形が変わったらやる」という生き方から、「信じたら見える」「自分がやれば形が変わる」という生き方に変えることです。
 すべては、あなたが心の中に創り出した想像上のシナリオ、あなたが創ったプログラムから始まっているのです。そのシナリオを、「俺のやりたいようにやる」「俺のシナリオは絶対だ」「俺のシナリオは正しい」「俺のシナリオは変えない、お前が変えろ」というゲームをすることで、あなたの計画通りの期間でそのまますべて形にしようとして、外を変えようとする行動をとることが、トラブルを創り出してきた原因なのです。「これは常識だ」「これは誰が見てもそうなのだ」「これは正しいことだ」「世の中そんなものだ」「これだけは変えられない」というのもあなたの選んだシナリオに過ぎないのだということに気づくことです。
 あなたが決めていることというのは「何ひとつ絶対的なものはない」ということです。すべてあなたがあなたの自由意志を使って選んでいるものなのです。あなたがどんなドラマを体験していようと、それはすべて、あなたが選んだ、あなたの創ったシナリオ通りに、あなたの望みどおりのドラマが実現しているのだということです。文句があるならば、人に言わずに、自分に言ってください。
 あなたが、あなたの望む人生を自由に生きることに、何の「罪悪感」もいりません。誰かが「迷惑だ」とあなたに言うとしたら、それはあなたにとって迷惑な話なのです。あなたのしたいことを、その人は「するな」と言っているのですから。どっちもどっち、お互いさまなのです。「どちらの意見が正しいか」ということはどうでもよいことなのです。もともと、そんな議論は必要ないのです。その人は、それを理由にしてあなたを制限することで、自分の欲求を満たそうとしている、自分の安定を崩したくない、だけのことです。その人が自分の人生をあなたに預けていなければ、自分の感じることがあなたの責任だと思っていなければ、あなたが何をしようと、その人はあなたに何を言う必要もありません。あなたの行動が自分に影響すると思っていているから、自分がしてはいけないと思っていることをしているから、あなたにアレコレいうことになるのです。そして、あなたが人にアレコレ言っているとき、あなたもそれをしているのだということです。
 あなたが、誰かの「迷惑だ」を聞き入れて、自分の行動をその人の言う通りに変えると、あなたはその人のシナリオで、その人のプログラムで、その人のために生きていることになってしまいます。つまり、あなたはその人の人生(その人そのもの)を生きることになってしまうのです。その時のあなたはあなたではありません。それは、その人が自分のシナリオをあなたで実現しようとしているゲーム、その人が生きたい人生を自分の外に見ようとしているゲームに過ぎません。あなたはご丁寧に、サービス精神旺盛に、自分の人生を後回しにして、その人の人生を形にして見せてあげているのです。これは俺の人生じゃない、と感じながら。
 でも、その人に文句をいっても始まりません。それは、あなたが選んだことなのです。今ここのシステムで「教育」「躾け」と呼ばれているものは、そういう要素が大きいのです。親が子供に、「反抗している」「抵抗している」「逆らっている」というとき、子供が悪いのではなく、「あなたは私の思いどおりにしない」と言っているだけのことです。それは、上下関係が創りだす「幻想ゲーム」です。子供からすれば、親が「反抗している」ことになるのです。「問題児」というのは、「常識」から見たらそう見えるだけであって、「問題児」から見たら、「常識の中で苦しんでいる方が問題だ」ということになるのです。「どっちを上にするか」「どっちを正しいとするか」という視点の問題です。
 人がこういうゲームをあなたに提案してきても、あなたはそのゲームに乗る必要はありません。あなたはあなた自身の人生を生きればよいことです。そして、あなたが人に「迷惑だ」と言うとき、あなたも同じゲームをやろうとしているのだと気づいてください。自分がどのくらい正しいか、どのくらい勝手なのか、ということをよく考えてみることです。
 「自分勝手なことをするな」という自分勝手な発言、「あなたは自分の事だけしか考えていない」という自分の事だけしか考えない発言、「人の気持ちを分かっていない」という人の気持ちを分かっていない発言を、お互いに平気でし合っているのです。お互いに初めから自分勝手なのです。
 お互いに何のトラブルもなく、欲しいものを手に入れるためには、それを認めた上で、「自分のしたいことを自由にする、人のことを干渉しない」というルールで生きることです。それぞれが、本当に自分がしたいことをすることです。あなたが人をコントロールしようとするとき、あなたもその人にコントロールされることになります。あなたが人に「するな」というとき、それはあなた自身にもあてはまります。自分だけはしてよくて、人はしてはならないというのは、まさに都合のよい究極の自分勝手なのです。あなたがそれをするならば、人に「するな」と言っても、何の強制力もありません。あなたが「するな」と言ったとしても、それをどうするかはその人の自由なのです。あなたが自由になりたければ、人を自由にすることです。人を自由にすれば、あなたも自由になれるということです。自分がすることが(したこと)が自分に返ってくるのです。
 人間は、お互い自由、お互いに対等な関係です。「上下関係」や「権力」「優先関係」というのは、それが必要なシステムに同意している人が創りだした単なるルールに過ぎません。そのゲームをやっていない人は、それを道具に何かさせようとしても何の効力もありません。あなたは、人に何かさせることもできないし、何かさせられることもないのです。すべては自分の自由な選択の結果です。すべてあなたがそれをすることを決めているのです。
 「来るものは拒まず、去るものは追わず」あなたが誰かに執着していると去る者を追うことになり、その人の選択を邪魔することになります。なおかつ、あなたの期待は叶わないかもしれません。でも、それはあなたが勝手にしていることですから、誰にも文句は言えません。あなたが誰か「気にくわない人」がいるとき、来るものを拒むことになります。あなたはその人をどうやって排除するかを考えることに忙しくて、あなたが本当にしたいことができないことに気づきません。そして、あなたはその人から得られるであろうたくさんの情報、それをしている間に出会えるであろうたくさんの人を永遠に逃してしまうことになるのです。
 あなたが肉体で体験する瞬間は、どんどん過ぎていきます。そして、その瞬間は二度と体験できません。出会いは瞬間のドラマです。今ここにあるものを今ここで体験し続けることが、あなたがこの世界でやっていることなのです。まずは、自分自身のしていることを許すこと、自分を認めること、自分を自由にすることから始めることです。そうすれば、あなたの周りにある情報を一つ残らず自分のモノにして、自分の人生を楽しむことができます。自由に人生をエンジョイすることができるのです。
 あなたが自由になりたいならば、人が何をしようとも、ほっとけばよいのです。「私は勝手にやりますから、あなたも勝手にどうぞ」と。表面上は冷たいように見えて、それがお互いトラブルなく、自由に生きられるベストな方法なのです。お互いに一切干渉しないこと。自分が自由になりたいなら、人を自由にすることです。結局は、お互いに、自分に自信がなくて、「何かしてもらいたい」「自分は責任を負いたくない」「一人で不安だ」という感情から、「してくれない」「してくれてもいいのな」「ありがたいと思え」「感謝の心がなければ人間じゃない」「世話してやったんだから」「あんたが悪いんだ」「自分のことしか考えていないんだな」云々とたくさんのトラブルが創り出されているのです。どんなに自分が正しいか、自分が悪くないかを主張しても、その理由は、自分に都合のよいものだけを取り出しただけです。反対の見方もできるのです。「自民党」と「社会党」、「検事」と「弁護士」のゲームはそれを示しています。「法律」という基準がなければ、永遠に結論が出ません。(裁判官の判決も、裁判官の理屈に過ぎないのですが。)
 みんな、本当は自分勝手に生きたいくせに、責任を負わされないように予防線を張っているのです。それが自分自身を苦しめること、自分の首を絞めること、そして、相手にも迷惑をかけることになっているのだということに気づいていないのです。それは、人が創り出す責任追及を恐れているだけのことなのです。あなたが何をしようと、人が何を言おうと、すべてお互いに自分の責任なのです。人がどう感じるか、ということにあなたは責任を負う必要はないのです。そして、あなたが感じることも自分の責任なのです。そういうことを知っている人ならば、あなたに文句を言うという行動はとりません。自分の感情と行動に責任を取っているならば、人に干渉することは一切ありません。つまり、自分で責任をとれば、あなたは何でも自由にできるのです。

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最新の連載記事は、先行して「都の風」(TLC匠公式WEBサイト)にてご覧いただけます。


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